7に纏わる怪談 ~四国に伝わる7人ミサキ~

怖い話・怪談etc

海外ではラッキー7等縁起がよい数値7・・・

しかし日本では7という数字は

あまりポジティブな数字ではない。

7に纏わる怪談を紹介する。

七人ミサキ

特異な地方

 四国には本州本土の文化とは異質である。
 犬神・民間陰陽師いざなぎ流等
 数を上げればキリがない。
 
 高知が発祥とされる7人ミサキとはいうのは
 ご存知であろうか? 
 
 7人で団体行動をしている亡霊集団である。
 
 7人で行動しており人の命を奪う度に
 最も歴が長い者から先に成仏していくという。
 
 目撃例として7人が身だしなみが違うことも
 この集団の特徴とも言える。
 ※各年代の流行として身だしなみは異なるものだ。
  
 7人で行動している由来を紐解くには
 戦国時代に遡ぼらなければならない。

時は戦国也

 現在の高知である土佐の国を統治していた
 長宗我部元親は”戸次川の戦い”で豊臣勢として
 敗戦し長男 信親を亡くしてしまう。

 近代こそ跡継ぎとして家系は一般的には関係ない。
 しかしこの時代は長男が務めるのが一般的だ。

 しかし長宗我部家は長男が亡くなり
 お家騒動が激化する。

 次男の香川親和は養子に出ており
 性格からか当主となる器ではないと判断し
 四男の盛親を指名する。

 しかし時は戦国・・・

 この判断に家臣・吉良親実が反対する。
 元々4男盛親は兄弟の中でも傲慢で
 短気な性格から一部の家臣から人望がない。

 長兄が死した後は次男が当主となるべきが
 当然の判断と申し入れた。

 ところがこの進言を快く思わなかったものが
 もうひとりの家臣・久武親直である。

 当主元親が4男跡継ぎ論者であること・・・
 吉良とは元々馬が合わず犬猿の仲であるため
 退けたい気持ち・・・
 また自身が盛親の世話係だったため
 家臣の中で自分が優位になる・・・
 
 このことから当主へ2男推進する吉良が
 土佐を乗っ取ろうとしていると
 事実無根の密告するのだ。
 
 これを真に受けた元親は吉良を呼び出す。

切腹と没落


 元々四男を推していた元親は
 吉良を問答無用として切腹に刑に処した。
 
 吉良には忠実なる側近が7名存在した。
 
 主君なき側近に乱を起こされてはややこしい。
 そのため吉良を切腹する前に
 粛清しておけば後々面倒は起こらない。
 
 こうして跡目争いは家臣・吉良と側近を
 抹消して収束した。・・・かに思われた。
 
 この事件後吉良が切腹された場所で
 けち火という火の玉が現れたり
 
 夜な夜な7人の亡霊が恨み言を言いながら
 夜道を練り歩く事象が目撃される。
 
 土佐の町は無実の罪でこの世を去った
 吉良の呪いだと密かに流れ始める。
 
 そんな中、吉良を切腹へ追いやった中心人物
 家臣・久武の子供が8名中7名が発狂の末
 変死する自体が起こる。
 
 正に吉良と7人の側近が起こしたに違いない
 
 徐々に民衆の噂が元親の耳に入る。
 
 元親は供養を施したが効果はなく、
 怨霊を鎮めるために西分村益井の墓に
 木塚明神を祀った。
 
 現在の吉良神社である。
 (場所:高知市春野町西分字増井)
 
 
 後の長宗我部家内では久武の陰謀により
 ライバル関係にある家臣を次々と粛清した。
 親直を長宗我部家滅亡の元凶とされている。
 
 また跡目争いを勝ち取った4男盛親は
 晩年は関ヶ原の戦いで西軍に属したが
 敗戦濃厚と判断して逃亡する。
 
 敵前逃亡だけならまだしも
 東の徳川軍に寝入ろうとさえした。
 
 土佐一国を豊臣へ明け渡した後、
 大阪の陣で敗戦後処刑された。
 
 長宗我部家は彼で没落するのであった。
 なんとも”お粗末”の一言に尽きる。
 
 長宗我部家に忠義を果たしていた反面
 怨霊と化した吉良の怨念と七人の側近が
 没落へ追いやったのだ。
 
 

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