「首切り浅」山田浅右衛門の刀と柄の話~西浦和也氏の怪談~

不思議なお話~神社・お寺・怪談etc~

江戸時代に行われていた刀の評価方法ってご存知でしょうか?

刀身の美しさでもなければ刀紋でもありません。

実は人がよく切れるかどうかです・・・

今回は江戸時代に刀を評価していた方の刀と柄の話をさせていただきます。

西浦和也氏来歴

不思議&怪談蒐集家。怪談トークライブやゲーム、DVD等の企画も手掛ける。
イラストレーターとしても活躍する。
単著に「現代百物語」シリーズ、『実録怪異録 死に姓の陸』『帝都怪談』などがある。

山田浅右衛門の刀と柄

山田浅右衛門という人物はご存知でしょうか?

人呼んで「首切り浅」と呼ばれていた人物で刀の鑑定士であった人物です。

元々浪人でしたが歌舞伎のように代々襲名しており、複数人存在していました。

通常自分の子供に襲名するのですが、弟子の中で太刀筋が良いものを指名し

次の「山田浅右衛門」を名乗っていました。

鑑定する上で良い刀の基準が人を切って初めて刀の良し悪しが

分かる為、幕府の役人を通じて罪人を切って

鑑定する仕事を請け負っていました。

刀を試し切りをしたのち刀身部分は鑑定書と共に購入した人の手に渡りますが、

柄の部分に関しては浅右衛門本人のものであり、

試し切りの刀身に付け替えていたために数本しかないと言われています。

今から何十年か前に浅右衛門本人の柄が見つかった為

ある大阪の博物館が展示会を企画しました。

ただし展示するにしても柄の部分のみではインパクトがないと考え

刀身部分を探していたところ、あるお金持ちの方から

浅右衛門の刀を保管しているとの情報が寄せられました。

実際の所有者は亡くなっており、奥さんが遺品として保管していて

展示会の話を聞きつけて連絡したそうです。

当時あの有名な山田浅右衛門の鑑定書付きということで

いいものに違いないと思い喜んで購入されました。

しかし奥さんに「俺に何があっても絶対に中身を見るな」と

念押しした直後に急死されました。

そういった経緯もあり何かいわくつきの代物と考えていらした様です。

博物館側としては目的の展示物が揃ったということで大変喜んでいました。

何せ数百年ぶりに浅右衛門の刀身と柄が一緒となるわけですから・・・

ただ当時首を撥ねた道具が甦るわけでもちろん何かの祟りを恐れておりましたが

何百年も前の話であるため「まぁ大丈夫であろう」と考えていました。

展示会をやる際に「開けるな」と念押しされていた袋のなかに

刀身と鑑定書と針金でグルグル巻きにされた着物が入っていました。

おそらく着物は試し切りの際に罪人が着用していたものであり

企画に携わっていた方は流石にこれを開けてはマズイだろうと推測し

展示する刀の横にこの状態のまま置くことにしたそうです。

刀身の錆汚れを落としキレイにして柄と合わせ、

開催の準備に備えていたそんな中、館長が博物館の前で

変死しているのが発見されました。

このまま開催してよいものかどうか・・・

しかし既に展示会は告知済である為に開催を決行する運びに至りました。

開催中は関係者のけが人が続出し、大変な展示会になったそうです。

しかしながら何とか企画を終了した後、刀身部分を持ち主の元に

持参したところ「もういらない」と言われ無理やり博物館へ寄贈されたそうで

今も倉庫内に保管されているそうです。

山田浅右衛門のその後

山田浅右衛門は浪人であったことは前述に記載しましたが、

刀の鑑定業とは別の裏稼業をしていました。

試し切り後に幕府からその時に切った死体を自由にしてもよいということで

人の臓物から作った薬を元に当時の大名に匹敵するほどの富を得ていたそう。

江戸時代は人体の臓器は様々な薬効があると信じられており、

その時代の庶民の間で「よく効く薬」として流通していました。

※所説あるが「仁丹」の名前の由来は山田家が人の臓物から採取し

販売していた「人肝」から来ているとの噂も・・・

その後莫大な富を以て各地に幾つもの寺院を建設したそうです。

やはり何か人切稼業で得た富は人のために生かそうという思想があったのでしょうか?

最後に

有名な妖刀ムラマサも必ず刀身と柄は別々に保管されているそうです。

刀として成立させない為とも言われていますが、

あまりの切れ味に所有者が人を切りたいという欲に駆られるような妖力を

放つとも言われています。

今回の浅右衛門の刀も刀として成立させたが故に

亡くなった方の怨念がそうさせたのでしょうか?

以上ここまでご拝読頂き誠に有難うございます🎶

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